13回忌!
ブルーハーバーオープンの翌日親父が亡くなった。享年62歳少し早いがそのときは正直ホッとした。
4人兄弟の3男として育った親父は他の3人の兄弟の悪い部分をすべて受け継いだような男だった。
戦時中は叔父さんが陸軍の偉いさんでその伝手で疎開先の和歌山で、手榴弾を紀ノ川に投げて魚を獲って食べたり、兄弟の服を質屋に持っていきその金で博打を打ちにいったりした。
結婚し、母と市場で衣料品や佃煮のお店をしていたがすこし時間が出来ると動物園に連れて行くと言い私を連れ出しては競馬場に通っていた。 当然、帰ってきて母親に象さん見た?キリンさんやライオンさんは?と聞かれた私は「青い服や赤い服着たお猿さんがお馬さんに乗っているのを見たよ」と答えていた。 そんな親父だから、博打で身包み剥がされて借金まみれになり、数度となく兄貴に尻拭いをして貰っていた。 兄貴がなくなり、自分で呉服屋を始めた親父は数年は真面目に働いていたしかし、ことごとく勝負運の無いにも拘らず競馬、競輪、ボートはもとよりチンチロリン、パチンコ、ヤクザの賭場にも出入りしていた。
そんなこんなで、裏社会の人も子供の頃から顔見知りも多くいつしか雰囲気で見分けられるようになっっていた。 時は、バブルで不動産業の営業をしていた私は数年前に親父が持ち家を担保に街金から金を借りていて、その返済が出来なければ家を盗られる事になると母から言われて知り合いの金融屋の親父に調べてもらい、数百万の肩代わりで権利書を取り返す。
そんなことの繰り返しで、両親が離婚する事になり、親父名義の自宅を買い取る形で銀行ローンを組み2200万の借金を肩代わりし、親父に出て行ってもらった。
その際の引越し先が、私の住んでいた新婚間もないマンションであった。
当然、家賃は滞納し、身に覚えの無い国際電話の請求書に驚いて家に行くと赤や緑のパンプスが玄関に散乱し、タガログ語と英語との日本語が混じる女性4、5人の中で気持ち良さそうに親父は埋もれていた。
結局、親父の兄弟親戚からの借金や商売での借金に友達のヤクザからの借金など死ぬまでに総額5000万くらいは弁済していた。 そんな親父が、亡くなる半年前のクリスマスイブケーキにナイフを入れた時に病院から電話で白血病で危篤で年を越せるかどうか微妙という知らせが届いた。
あまりに家賃も滞納し、マンションを出て、何処で知り合ったか解らないが女性と暮らしていたみたいで、見舞いに行くとその女性がご長男さんのこといつも自慢していますと話していた。そらそうだろう!親父の借金返してなかったら5000万貯まっていたんやからと心でつぶやきながらも死にそうな親父の嬉しそうな顔を見ると、どんなに迷惑かけられても死に際は看取ってあげたいと思っていたが、その時は正月過ぎて奇跡の回復を遂げ退院した。
そして、ブルーハーバー開店のドタバタで見舞いに行けなかった翌日に62年の人生にピリオドを打った。 最後を見届けてくれた女性の名前すら知らないが、その人から親父は息子が見舞いに来てくれると思う、孫と一緒に。 と昨日話していたと聞き涙が出た。 その女性が、お父さんの大事にしていた手帳も一緒に棺に入れてあげてといわれて見て見ると競馬の出目帳であった。
最後まで懲りない親父であった。 そんな親父の13回忌、笑い話で言える大人になれたのも親父のおかげなのだろう。