最後の挨拶
昨日、香港行きの機内で「Life天国で君に逢えたら」という映画を見ました。プロウインドサーファーの 飯島夏樹さんがピークを過ぎて自信を失いかけた時に肝臓癌と宣告されて、更に絶望の淵に追い込まれて自暴自棄になり、全てを失いかけた時に家族に支えられ勇気をもらい、全てを前向きにとらえ、HPで自らの闘病生活を公開する事で、同じような病気や身体的欠陥でイジメに悩みに苦しむ人にHPやエッセイを通じて前向きに生きようと励まして最後の時を迎えるまで精一杯メッセージを与えて生き抜いたという映画でした。
この数年、知人の事故死や自ら生きることを止めてしまったり、肺癌、や大腸癌による死を目の当たりにするようになり自分自身は最後の瞬間を迎えるにあたり、どのような形が一番理想なのかと考えてしまいました。
先日、亡くなった徳田の親父さんは早朝、お客さんを釣りに連れて行くために船を回してくる途中にプロペラにロープを巻き込みロープを切ろうとマスクをして海に入り溺れて死にました。普段なら有り得ない事で港の中の水深2から3mの場所でした。
当然、なんの準備も残された家族はしていませんし本人も死んだという意識が無いので港にまだいるのを見える人は見ているそうです。
CPファームの阿出川さんの場合も最初は、私に「少し肺が痛くて、石垣の病院では検査できないから東京に帰って診てもらいます」といって翌週には末期癌で余命半年から1年と宣告されました。
宣告から半年後に身辺整理の為に石垣島に戻るのでCPファームの今後について相談したいというので石垣島に急遽出かけた時には抗癌剤の影響で痩せ細り、松葉杖か車椅子の移動がやっとの状態であったが今更悔やんでも仕方が無い、奇跡が起きるかもしれないので希望を捨てずに頑張りたいと話してくれました。
映画で伊藤美咲が妻の役で「だまって勝手に逝かないで、ちゃんと挨拶してちょうだい」と言っていたのが印象的だった。 余命半年と聞いて死ぬ前に身辺整理をする事が出来る、もちろん自殺する人も出来るであろう?しかし、自分がその宣告を受けたとしたら、前向きに捉える事が出来るのだろうか?
妻や子供達には、何をしてあげれるか?会社はどうする?死んだら潰れてしまうのか?それとも残ったスタッフで維持出来るのだろうか? まだ余命宣告は事故死に較べればありがたいのかもしれないと思ってしまいました。Divingで何時あの世に行くかわからへんし、元気な時は時間の大切さを考える事も無くだらだらと過ごしているのが楽しいものだろう? しかし生きていられる時間が決められしかも、不自由な体になって初めて懺悔の日々が始まる。そう考えると今からでも時間を大切にしなければと改めて思いました。